周囲の人とのギャップと、重苦しい義務感と罪悪感にまみれています

(「みんなの生きづらさ」/投稿者:イド さん)
学生時代から、ずっとずっと頑張ってきたのかもしれないけれど、いま生きていることになんの意味も見い出せない。
現在、定期的にカウンセリングに通いながら働いています。
幼少期から家庭内に問題がたくさんあって、一人っ子の私はいつも振り回されたり、怖い思いをしてきました。
いつもいつも、何をするにも常に義務感につきまとわれ、苦しさや悲しさを抑え込んで生きてきました。それが、普通だと思ってた。
私がしっかりしなければならない。私が両親を養って、助けていくんだって。
でも、就職してどんなに頑張っても義務感から逃れられない。学校を卒業したと同時に、生きる意味を見失いました。
就職後に先輩に教えてもらった精神科で、先生とお話してわかったことは、ずっと『虐待を受けていた』ということでした。
アダルトチルドレン、という言葉を知りました。
両親の過去のことを知っている限りで伝えたら、両親とも発達障害の可能性がある、と。
私が普通だと思っていたことは、実は全く普通ではありませんでした。
それから、両親と暮らすことがどうしようもなく苦痛で、実家を出て一人暮らししています。
両親と話すのもつらくて、怖いことを思い出してしまって混乱するので、連絡はしないようにしています。
職場で他の人の家族の話を聞くと、どれも自分の家とは違っていて、でもそんなこと言えなくて、私はいったいなんのために生きて、頑張ってきたのかがわからなくなりました。
やりたかったことも、つらさや苦しさも、全て見ないふりをして、いろいろな良くない方法で誤魔化して生きてきました。
他人の話は聞くし、相談にもよく乗るけれど、私自身のことは誰にも話せない。話せるほど、人を信じられない。
自分のことは、自分ひとりで抱えればいい。
苦しさはなるべく隠して、みんなと楽しく過ごして、やるべきことを終わらせたら、さっさとこの人生を終わらせよう。
たくさんの罪悪感と義務感を抱えながら、生まれてきてしまったことへの申し訳なさと、他人の邪魔にならないことを考えながら生きています。
カウンセリングに通うようになり、少しずつ少しずつ、当時の悲しみや痛み、ずっと抱え込んで見ないふりをしていた気持ちを吐き出す場所ができました。
それでも、生きづらいです。
どうしてこうも周囲と違うのか(どうして周囲の人のようにできないのか)、どうしてこんなに傷つきやすくて、弱いのか。
なぜこんな私が生きなければならないんだろう。
両親を助けるために苦しんできたけれど、両親はそれを理解していないことを知って、私が頑張ってきたことを両親は見ていなくて。
いちばん悲しいのは、『この先、私が感じてきた苦しみについて両親が理解することはないと知ったこと。』
それが、日々目の前のことに全力に生きる、両親の姿だということ。
悲しかったと同時に、もう両親に期待しなくていいという解放感もありました。両親のために、終わりのない努力をする必要がなくなったから。
そうして、解放感と喪失感と、未だに過去のつらい記憶に苛まれながら生活しています。
職場の、外の、友人の、とにかく周囲の人達と自分が大きく違う(私がこの社会に適合できていないという意味で)ことに苦しんでいます。
過去にどれだけ苦しんできたかなんて、周囲の人は知りません。
私も周囲の人の境遇は知らないから、向こう側に踏み入りすぎないように、当たり障りなく過ごせるように緊張の糸を張っているのですが、周囲の人がその境界線に土足で入り込んでくることが多くあります。
悪気がないのはよくわかりますし、私が伝えてないから悪いのもありますが、それがどうしようもなくつらいです。
いつもいつも、私自身と周囲の人とのギャップと、重苦しい義務感と罪悪感にまみれています。
それらを振り切れない自分が、どうしようもなく嫌いです。
周囲の人のことは許せるのに、自分を許せない。
こんな苦しみのことを話せるほど人を信じられないし、怖い。
なんだか、生きるのに疲れてしまった感覚です。
『これが終わったら、さっさとこの人生を終わりにしよう。もう、疲れてしまった...。』
そんな気持ちを抱えながら、仕事をして生活しています。
カウンセリングでなんとか回復させながら生きていますが、生きる意義も楽しさもよくわからないまま、夜中にひとり泣いたりしています。
私よりつらい人はたくさんいるのに、こういう苦しみに耐えられない自分が情けなくて、だらだらと生きているのが申し訳ないです。
今日、こちらのページを見つけ、様々な生きづらさについてのお話を読み、私の話が少しでも足しになるならと思い投稿させていただくことにしました。
カウンセラー以外にここまで気持ちを表すことがなかったので、わかりにくい部分もあるかと思います。申し訳ありません。
最後に、このような場を設けていただき、ありがとうございました。