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神様から与えられた人生の宿題ドリル

神様から与えられた人生の宿題ドリル

(「みんなの生きづらさ」/投稿者:まゆ さん)

傍目から見た私は、何の不自由もなく暮らしているらしい。

たしかに私には夢や目標があり、今日食べるものにも困ってないので、そう言った意味での不自由はない。

「あなたは、天然で空気が読めないところもあるけど幸せそうだね。」と言われることも多い。

しかし、私は対人関係において生きづらさを感じており、この生きづらさによって私の夢や目標は幾度となく打ち砕かれそうになる。

幼い頃から感受性が強く、いつもベソをかいていた私は育てづらい子だったと聞かされたことがある。
きっとその当時の私は自分のことに敏感過ぎて、ベソをかくことで生きづらさを訴えていたのかも知れない。

しかし、今の私が感じている生きづらさは自分のことに敏感というだけではなく、他人のことには鈍感過ぎるという、この厄介な性格についてである。
もしかしたら私は、自己愛性人格障害なのかも知れないとも思っている。

友達という人がいないわけではない。

しかし、人と友情関係を築けなかった事が何度もある。

心優しいその人は、私を責めたり咎めることなく距離を取り始め、やがて去っていく。
私は人を傷付けたという自覚がないままなので、捨てられた・裏切られたなどの一方的な被害者意識を感じていたが後に、その人が私の悪口を言っていたのを知らされることで、私はその人を傷付けていたのだと気付くというパターンを繰り返している。

人を傷付けておいて、被害者意識が強いだなんて、私の頭の中はおめでたいとしか言いようがない。

文献によると、人が感じるストレスの原因は、9割が対人関係だといわれている。

そんなストレスを抱えて生きるくらいなら、私は人と関わらずにいたい。
しかし、人は1人では生きていけないことを私は知っている。

今は人の生命に関わる生活をしているため、集団での行動が避けられない。
また、単独行動を取ることによって致命的なミスをもたらすのは必至であるため、私は色々な人の中で生きていく術を身につけなければならない。

きっとこれは神様から与えられた人生の宿題ドリルのようなもので、この術を習得できるようになるまで、神様は私に幾度となく新しいドリルを与え続けるのだと感じている。

私は明日、メンタルクリニックを受診する。
初めてのことなので、今から緊張している。

メンタルクリニックでは、私が疑っている自己愛性人格障害かどうかを確かめてもらいたいと伝えてある。

自己愛性人格障害だと診断してもらうことで、救われたいという気持ちが私の中にあるのかも知れない。

そして、対人関係において自分の悪い部分を認めているようなことを言いつつも、人格障害のせいにしようとしている ずるい私がいる。

こんな調子だから、いつまで経ってもドリルを与えられてしまうのだろう。


(※まゆさんはその後メンタルクリニックを受診した後の事を書いて下さっています。そちらの投稿はこちら「HSPは病気ではない。私も苦しめるものでもない-1」・「HSPは病気ではない。私も苦しめるものでもない-2」)




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