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ときには断ることも必要。全てのシーンで「イエス」と言わなくてもいい
友人にあるイベントに誘われた。
「絶対面白いと思うよ。騙されたと思って行こうよ」
友人から誘われたら割と断らない。食事やお茶の誘いなら、せっかく誘ってくれたのだからと、頑張って都合をつけて行くようにしている。
でもそのイベントには興味が持てそうにない。
そのイベントに関わる趣味に傾倒している友達が、その良さをわかってもらいたい、ならば私にも好きになってはまってほしいと思っているのはよくわかる。
食わず嫌いかもしれない。
一度は行ってみようかとも思う。それも全然ありだし、今まではそうしてきた。
まぁ、その方が私にとっては楽だったからだ。
相手に喜んでもらいたい、断ることで相手を失望させたり、嫌われるリスクを取るくらいなら自分がちょっと我慢して行ってみた方がいいんじゃないかと思ってきた。
基本そのスタンスには変わりがない。
行けば興味を持つかもと思える場合にはそれでいいが、今後もその趣味には全く興味が持てそうにない場合はどうだろうか。
興味が持てそうになくても、一回だけ参加して相手の顔を立てればいい、参加した上で断ればいいと思う人もいるだろう。
仮に断ることを先延ばしにして、一回だけ参加することにしたとしよう。
一度それに参加した後で、「面白かった? やっぱり言った通りすごかったでしょ?」とワクワクして訊ねてくる友人に 「う~ん、あんまり好きじゃなかった」とか「興味が持てなかった」と言うのは、最初に断るよりハードルが高くなる気がする。
見た上で断った方が、友人も好きなものを否定された感を強く持つんじゃないだろうか。
でも興味が持てないのに興味があるふりをしたら、私が苦しくなるのは目に見えている。
断らなかったのは私なのに、その後もそのイベントに誘ってくる友人を下手をしたら、うとましく思うかもしれない。
勝手な話だ。
結局断る前提なら、初めにきっぱり断った方が相手に余計な気を持たせないで済むし、精神衛生上もいい。
「ごめん。あんまり興味を持てそうにないや。これまで通り○○(別の趣味)の方で誘ってね」
そんな風に断わりを入れた。
これまで通り別の趣味の方では付き合うからという、代替も添えた。
相手の気持ちを操作することはできないから、誘いに乗ってこない私を友人は嫌うかもしれない。
それでも自分より人を優先する、他人軸に陥いる必要はない。
断り下手の人は、「ノー」が言えない。全てのシーンで相手にいい顔をしようとする。
相手の全てに合わせるのが優しさと思った頃もあったが、自分をすべて明け渡して好きになってもらう必要はないんじゃないかと思っている。
人にはノーと言わないが、「行きたくない」と感じる自分にノーと言っていることに気づこう。
ここでいいたいのは、自分の主張をいつも声高に叫べということではない。
友人や恋人、相手がどんなに親しい人でも全てのシーンで「イエス」を言う必要はないということ。
全ての趣味や嗜好が合うことなんてないし、自分に正直になって、ときには断ってもいい。その方が相手に対して誠実だ。
嫌われなくないがためにいつでもいつでも「イエス」という人は、本当にそれがしたいのか自分に問いかけてほしいと思う。