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世人の支配から逃れて本来性を取り戻す…ハイデガー『存在と時間』

世人の支配から逃れて本来性を取り戻す…ハイデガー『存在と時間』

<2022.5.8>

少し前、NHKの『100分de名著』という番組で、哲学者のハイデガーが特集されていた。
番組の指南役は、哲学者で、関西外国語大学准教授の戸谷洋志先生。
哲学書は今まで読んだことがなかったけれど、興味を惹かれる内容だった。もう少し詳しく知りたいと思い、電子書籍でNHKテキストの『ハイデガー/存在と時間』も読んでみた。

哲学者として有名なハイデガーだが、『存在と時間』が未完だということにまず驚く。
「存在とは何か」を明らかにするために、「存在の意味」を問わずにいられない人間に着目し、持論を展開させていくが、結論から言うと、「存在」の意味は明らかにされていない。その上未完でもある。ハイデガーのすごいところは、未完だけど、『存在と時間』が、当時のドイツ哲学界に非常に大きな影響を与え、その後の現代哲学の潮流を方向づけたところだ。

印象に残ったのは、人間が「不安」から逃れるために「世間」に従属して生きているという点だ。
人間(「現存在」)は、みんなが正しいと思うものに照らし合わせて、自分を規定し、非本来的に生きている。誰に教わったわけでもないのに、世間の規範に合わせて生きている。

これを、ハイデガーは「世人(せじん)」と表現した。

「世人」とは現存在に非本来的な生き方をもたらすもの、わかりやすく言うと、世間や空気、みんなもこうしている、こうした方がいいという規範をもたらすものだ。

わかりやすい例は、いじめだ。
いじめに加担している人は、いじめられる相手をいじめたいからいじめているのではなく、その場の空気を読んで、いじめに加担していることが少なくない。
そして、みんながそうしているから自分もやったにすぎない、仕方がなかったと考える。責任はみんなにある、同調圧力に従っただけと自分を正当化したとき、いじめた責任は、どこまでも軽くなる。

強制収容所へユダヤ人を大量に移送した、ナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマンは、その裁判で、「命令したのはナチスという組織にある」「自分は単に命令に従っただけだ」として、無罪を主張した。
アイヒマンを人間の皮をかぶった悪魔だから、あんな非道なことができたのだと考えれば、まだ納得もしやすい。
けれど、上司の命令に従うだけ…世人に支配されただけの、ただの凡庸な人間の仕業と考えると、背筋が凍る。それは、誰しもアイヒマンになる可能性があることを示唆するからだ。

ハイデガーに言わせると、特定の人間だけではなく、すべての人間が世人に支配されているのだという。

ではどうしたら、人は「本来性」を取り戻して、自分らしく生きることができるのだろうか。

ハイデガーは「死への先駆」が、「本来性」を取り戻す鍵であると考えた。
死とは、誰も替わることができない、その人固有の可能性だ。「先駆」とは、死の可能性に直面すること。死を常に意識することで、世人に支配されない別の生き方もできるのではないかと気づかせてくれるものだ。

他人のせいにせず、自分の人生をあますことなく引き受けることが、大事なのだ。

普段生活していると、死を意識することはあまりない。
もちろん死は誰にでも等しく訪れるものだということを知識として知ってはいる。だけど、今日と同じような明日が明日もやってくると漠然と思っている。

私よりずっと若くして亡くなった知人のお葬式で、彼の最後のメッセージをご家族が伝えてくれたことがあった。

それは「自分に正直に生きてほしい。今日から全力で楽しんで生きてほしい」というものだった。

重い病気を患い、痛みと共に自分の死を強く強く意識せずにはいられなかった知人の、この言葉は重い。ハイデガーの「死への先駆」とリンクして、重く心に響く。
本来性を取り戻すという偉業を成し遂げ、知人は亡くなったと思う。哀しいけれど、それを誇らしくも思う。

死を前にしたとき、ただ世間体だけを気にして、自分の本音を隠して生きることが自分を守ることではないと気づくことができる。もっと大事なものが見えてくる。
死が目前に迫っていなくても、そのことを意識できれば、時間を浪費することなく、もっと自分らしく生きられるのではないだろうか。

人間の本来性を説き、世人の支配を痛烈に論じたハイデガーだったが、矛盾するようにナチスに加担し、ドイツファシズムへの道へと傾倒していく。
高潔だったはずなのに、なぜ全体主義の波に飲み込まれてしまったのか。

『存在と時間』には、実は、そのハイデガー自身をも批判する考え方が書かれているのだそうだ。
番組では、両義的な観点からも考察されているので、興味を持った方は、視聴してはどうだろうか。





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