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共時性…偶然の一致に、他ならない自分が意味を見出すこと
<2021.11.7>
コロナ渦によって、外へいく機会や人と会うことがめっきり少なくなった。
会社ではリモートワークを行っていないので、毎日出社はしているが、殆ど会社と家との往復だけになっている。
今日は必要があって、久しぶりに外に出て、買い物をした。
このところ新規感染者が落ち着いているので、街は大分人でにぎわっていた。
買い物を終えて、外が暖かかったので、テイクアウトしたコーヒーを持って公園に移動する。
木々は色づき、季節の移り変わりを鮮やかに示している。
陽だまりの中、ベンチに腰掛けて本を読んでいると、赤トンボが本の隅にとまり、しばらくじっとしていた。
透けた羽の影がくっきりと本に映って、その美しさに思わず見惚れる。
赤トンボはしばらく羽を休めた後、ついと飛び立っていった。
その一時の出来事、共時性みたいなものに、はっとする。
なぜだかわからないけれど、一匹のトンボの存在を通して、世界との繋がりをまざまざと感じた。
さっきまで気持ちが、塞いでいた。
同じではないはずなのに、家と会社の往復だけの生活は、判で押したような日々に思えて、気持ちがざらついていた。
終わらない雑事や人間関係のわずらわしさ、将来への不安、ネガティブな側面ばかりが強調される毎日。どこにも息つくところがないように思えて、慢性的な疲労感が身体を覆っていた。 いったんネガティブなループにはまると、そこから抜け出すのは難しい。
公園で一人ゆっくり本を読む、そこへトンボがとまる。
たったそれだけのことが、毎日の連なりに変化を起こすきっかけに思えてくる。
日頃はカフェインをあまり取らないようにしているが、今日は特別だ。
コーヒーを味わう。太陽の暖かさを感じる。風の音、枯れ葉が舞う音に耳を傾ける。靴底を通して、固く乾いた土に触れる。マスクを外して、秋の空気を確かめる。
情報の波にのまれて鈍磨していた感覚が、鋭敏になっていく。
身体的感覚に意識を向けることで、不安が緩和されていく。
閉塞感ばかりを感じていた気持ちが、解きほぐされていく。
シンクロニシティ…共時性とは、「意味ある偶然の一致」のことだが、「他ならない自分が、偶然の一致に意味を見出すこと」が大事なのではないかと思う。
私が意味のないものと感じれば、それは意味のない些細な出来事にすぎない。
だけど、意味があると捉えられれば、それは、自分を癒す出来事にも変えられる。
合理性から離れて、自分の中の神性を感じてみると、世界はまた違った様相を帯びていく。
そんなことを考えながら、穏やかで豊かな秋の時間を、存分に味わった。