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破壊的で不毛な心理ゲーム「ドラマの三角形」を演じてはいないだろうか

破壊的で不毛な心理ゲーム「ドラマの三角形」を演じてはいないだろうか

<2016.10.15>

カープマンの「ドラマの三角形」という概念をご存じだろうか。

日常生活で対人関係の問題を抱えるとき、破壊的で不毛な心理ゲームを演じていることがあるのだそうだ。

後味の悪さが残るようなコミュニケーションが特徴で、ゲームに参加しているという意識はない。
心理ゲームの構造は、「迫害者(加害者)」「犠牲者」「救援者」に三者によって演じられるという。

ドラマの三角形

TAネットワーク様のホームページから引用させていただくと、三者は以下のような役割を担う。

迫害者:排他的で、相手を見下したり、ミスを正そうとする役割。

犠牲者:他者の助けを誘うような無力さが特徴で、三者のうち最も強力な役割。

救済者:相手の自立・自助を損ない、依存心を高める役割

TAネットワーク様ホームページ「カープマンのドラマ三角形」より引用


このドラマは一人では成り立たない。二人以上の参加者が必要となる。

例えば私を例に挙げると、無能で会社の上司に叱責される自己否定的な「犠牲者」が私、私を蔑み圧力を掛ける「迫害者」が会社の上司、現実には存在しないが、可哀そうな私を慰めてくれる同僚がいれば、この人が「救済者」というわけだ。

だからといって私がずっと犠牲者かというと、そうではなく、私が上司の悪口を言ったり非難をすれば、今度は私が「迫害者」で上司が「被害者」という役割を担うことになる。

私たちは、この三角形をぐるぐると役割を変えて演じているのだそうだ。

救済者は一見いい人のように見える。救済者が本当に自立をしていて、助けようとしているのなら問題はない。
でもドラマの中の救済者は、「私が必要でしょ。私がいないと困るでしょ」と犠牲者の行動に安易に介入することで、犠牲者を依存させ、結果、犠牲者の自立を阻む。

誰かを救うことで、自分の存在価値を得ようとするのだ。救済者から得られる救済は、いっとき心を癒してくれるかもしれないが根本的な解決法にならないという点において、見せかけの救済に過ぎない。
犠牲者と共依存の関係に陥ってしまっている。

ここから書くことは、カープマンの概念から少し離れるかもしれないもしれないが、書いてみる。

ぐるぐると役割を変えて演じるのだが、その人の気質や性格によって、取りやすいポジションの傾向はあると思う。
さしずめ内向的で不安の強い私は「犠牲者」のポジションを取りやすい。

犠牲者のポジションにいる私は、「私ばかりが人生でいつも損な役割ばかりを担わされている」と、被害妄想的に考えるが、果たしてそれは事実だろうか。
私から見ればそれは真実だが、低いレベルにとどまっている私から見た一つの見方にすぎなくて、その考えは狭く偏っている。上司から見れば、それは事実ではないと考えるだろう。救済者も違う見方をするかもしれない。

自分を犠牲者と思い込んで、他の視点で物事を見ようとしないから、いつまで経っても犠牲者のままなのである。

なぜ犠牲者のまま居続けようとするかというと、そこにメリットがあるからだ。
自分は苦しくても犠牲者でいる限り、迫害者との関係は決定的に悪いものにならない。嫌われたくない、関係を壊したくないと思って、犠牲者をやり続けているのである。

それは、苦しくてもよく見知った感情で、変化を必要としない。
変化しようと、未知なところへ飛び込もうとすれば、不安や恐れを伴う。

ここから抜け出すにはどうしたらいいかと言うと、三角形以外のポジションにいくしかないそうだ。
つまり、三角形以外のポジションに自分を置くことができれば、このパワーゲームから抜け出すことができる。
自分自らが犠牲者でいることを、自分に強いている現状に気づけばいい。

三角形のドラマに参加したまま、低い意識の中で問題を解決しようとしても、問題は解決しない。

どこに問題を解く鍵があるかというと、視点を拡大するということに他ならない。
定義を変えていくことで、問題が解決する。というより、問題が問題と認識されなくなってくる。

わかりにくいかもしれないので、私のことをお話してみる。

一時期本当に会社を辞めようと思った。フリーで独立したいと考えたのだ。
それ自体は、会社の上司から逃げようとする逃避なのだが、別に今の会社にしがみつかなくてもいいんだなと気づいたとき、いい意味で力が抜けた。それによって、この会社に縛られない選択ができるようになった。

「犠牲者」から、「自分で会社を辞めるかどうかを選択する人」のポジションへ移ったのだ。
定義が書き変わった。

いつでも辞められると思うと、上司の言うこともそれほど気にならなくなる。苦しかったのは、辞めたいのに「絶対辞めることはできない。辞めたらどこにも雇ってもらえなくなる。会社でなんとかやっていくために、上司に最低限嫌われないようにしなければならない」いう思い込みに囚われていたからだった。

そこが外れると、楽になる。
嫌われてもいいと思うと、気負わずに済む。自分が気負わなくなると、上司との関係もよくなっていった。
劇的にとは言えないが、少なくとも上司との関係で鬱々としなくてもよくなったのだ。

だから今「会社を辞めるかもしれないし辞めないかもしれない」という気持ちになっている。
何が何でも独立しなきゃと、頑なに考えてはいない。
Aでもいいし、Bでもいいといった具合なのだ。

だから最終的にどうなるか、まだわからない。その結果は、いつかブログでお伝えしたいと思う。

こうして、三角形以外のポジションに自分を置くことができた。人によって定義をどう変えたらいいかというのは変わってくると思う。
それを自分で考えていくことが、このドラマから抜け出すポイントなのだ。

誰かからもらう答えではなく、自分で出す答えだからこそ意味がある。
誰かからもらった答えは、自分を変える力にはなりにくい。そのとき解決したかに見えても、また人や立場を変えて、現実世界に現れてくる。
だから、自分で答えを探すのだ。

もし読んだ方が三角形のドラマに陥っているなと思ったら、定義を書き換えられないか、一度自分でうよく考えてみてほしい。




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