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会社という組織が合わない人

会社という組織が合わない人

学校や会社という組織が合わないという人は確実に存在する。

私もそうだ。今も、働きたくない、会社を辞めたいと考えている。

昔から集団で何かをすることが嫌いだった。授業が終わると、楽しそうに遊んでいるクラスメイトをしりめにさっさと家に帰っていた。家に帰って一人遊びやするのが好きだった。

人付き合いが苦手なので、人と一緒に仕事をすると見張られているようで息が詰まる。いつも他人の顔色ばかり見ているので神経も休まらない。あまり興味のない人達と当たり障りのない会話することがひどく難しい。決まった時間に起きて会社に行って、一定時間拘束されるのがたまらない。

何故みんな普通に会社に行って、色々不満はあっても、働くことができるのか不思議でならない。

他人に指図されないで自由に生きたいと思う人にとって、組織に属することは苦痛である。会社とは利益を得る為に社員が協力し合って成り立つ組織だからだ。勝手は許されない。

そうはいっても、会社で働くということは守られていることでもある。



前に面接を受けに行った小さな会社で、面接の最中に、面接官の部長さんが「今うちの女の子達呼ぶから」と言って、女子事務員二人を連れてきたことがあった。私がその会社に合うかどうか、事務員さんの意見も聞きたいということのようだった。

結局その会社とは縁がなかったのだが、採用されれば一緒に働く機会が一番増える事務員さんの意見を尊重していたことが微笑ましいなと思った。

守られていると感じたのは、その「うちの女の子」という言葉だ。
「うちの」という言葉に、帰属意識を感じた。
「うちの会社、労働条件悪くてさ」と悪口をいうときでさえ、私達は「うちの」という言葉を無意識に使う。
「うち」が意味するところは、家、内側、内部。自分の内側に会社を置いているのである。

「いや、守られてなんかいない。勤めている会社はブラックで法規も何も守られていない」という人がいるかもしれないが、ここで言う「守られている」はもっと基本的な会社のシステムのことだ。

拘束される代わりに、会社の売り上げにそれほど貢献することがなくても、毎月ほぼ決まった金額の給料が支給される。
内側に属するから、そのしくみが機能する。

当たり前に思えるかもしれないが、一人で仕事をすると、自分で稼いだ分しか収入を得ることができない。
以前に会社から離れていたときに、どこにも帰属していない頼りなさを感じたものだった。自分が何者にも守られていない感じ。

その頼りなさを経験しても、やはり会社を辞めたいと日々思ってしまうのは、私が会社勤めに向かない人間だからだろう。

そして私のように会社を辞めたいと思っている人間は、沢山いると思う。

個々の会社自体が嫌ならば転職すれば済む話だ。でも、組織に所属するという事自体が向かないのであれば、組織に所属しない生き方を探す他ない。我慢に我慢を重ねて会社にどうにかとどまっても決して幸せにはなれない。会社もそんな人を雇っているくらいなら、もっと向上心と協調性のある人間を雇った方がずっといい。

会社の中で生きていけない人間でも、生きていける場所がもっと沢山あればいいと心から思う。




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