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病弱な人に対する理解のなさ。それが私の生きづらさの一つ

病弱な人に対する理解のなさ。それが私の生きづらさの一つ

<2017.2.28>

(「みんなの生きづらさ」/投稿者: ラフレシア さん)

今日も会社を休んだ。

職場に欠勤のお願いをする電話をかけるのが本当に気が重い。

職場いじめが嫌で、4年間必死で転職活動をし、ようやく正社員として入社した今の職場。人間関係も劇的に改善し、仕事内容もほぼ希望どおり。ただ、180時間を超える残業だけがネックだ。面接の時、80時間程の残業時間があるとは説明を受けていたが、180時間とは聞いていなかった。

子供の頃から病気がちで、学校をよく病欠していた。
学校ではそれで通っていたが、社会人になってからはそうもいかない。

前の前の職場では、本当に病気で休んでいるのに、バンドのおっかけでもしているのではないかと疑われたりした。
学校では真面目な生徒で通っていたが、社会人になってからは、度重なる病欠のせいで、人事評価は最悪になった。

他人にとっては、たかが風邪でも、自分には耐えがたい苦痛で、仕事どころではなくなってしまう。
自分だけが堪え性がないのだろうかと真剣に悩んでいるが、他人の身体的苦痛を実体験できる科学技術でも開発されない限り、他人にはわかってもらえないだろう。

子供の頃、クラスに『僕、今40度の熱があるんだー』といいながら、嬉々として真冬の寒空の下でランニング一枚でドッチボールをして遊んでいた子がいたが、幼心に信じられなかった。
自分なら37度程度の微熱でも怠くて動けなくなるのに、なんでそんなふうに遊んでいられるのか、理解できなかった。

小児ぜんそくだった私には、風邪と発熱、ぜんそくはワンセットだった。まず喉の痛み、それから発熱、体の怠さと吐き気や嘔吐、フルコースを経てようやく治るのだ。

最近、大手広告代理店の女性社員が過労自殺したのが問題になっているが、それに対して『自分は200時間を超える残業をしている』などといった声が多くメディアやネット等に寄せられている。

亡くなった女性やそのご家族には大変不謹慎だが、200時間を超える残業をして無事な人がいることが私には驚異だった。一体、どれだけ体が丈夫なのだ。そういった人がたくさんいるから、長時間労働がなくらならないし、企業もまだまだ働かせても大丈夫だとたかをくくり、病気の人に対する理解も深まらないのだと思う。

道徳的、倫理的に問題があると重々承知して言うが、いっそ残業時間が60時間を超えると人が必ず過労死するとなれば政府や企業経営者も少しは対策を考えるのではないか。
ドイツでは、有給休暇とは別に、有給の病気休暇があるときく。私のような人間には心底羨ましい限りだ。

病弱な人に対する理解のなさ。それが私の生きづらさの一つである。




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