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自分は恵まれた方々に代わって苦しみを肩代わりしている

自分は恵まれた方々に代わって苦しみを肩代わりしている

<2016.11.20>

(「みんなの生きづらさ」/投稿者: セニンラ さん)

(※セニンラさんは以前に「みんなの生きづらさ」に投稿して下さっています。そちらの投稿はこちら「知性の価値が音を立てて崩壊していきました」、「「役に立たないものこそ最も尊い」という価値観が自分の軸になっています」)

3回目の投稿になります。

大きなプロジェクトが幾つも動く中、末端の事務職員である私にも多くの仕事が廻ってくるようになってきました。
不規則な勤務時間で頭が廻らず、注意不足で低レベルなミスを連発することが増えました。

周りの視線が私を値踏みしているようで辛いです。「お前など一山いくらの労働者にすぎないのだ」と言ってくれればどんなにか楽なのに。
あまりに注意欠陥の時期が続いたのでADHDなのではないかと疑いましたが、病名がついた後の事を思うと医者に行って診断を受けるのが怖いです。

自分はまだ普通の人間だ、と信じたい気持ちが心の底にあるのかもしれません。
そのような奢りこそ私を苦しめてきたまさにそのものである筈なのに滑稽な話です。

日常の風景など微塵も感じられない勤務時間の中、食事を終えて床に付くまでのほんの僅かな時間にこの世に産まれ落ちた意味についてぼんやりと思考を巡らせたりしています。

体力と学才、容姿に恵まれている人たちは居ますが、そのようなものに恵まれなかった私のような者が生きている意味について考えていた折、「自分は恵まれた方々に代わって苦しみを肩代わりしているのだ」という気づきが現れました。

あまりにも突然だったので自分でも驚いています。それまでは世の不平等について嘆くだけであったのに・・・。

一過性の物では?と疑いましたがその気づきが消えることはありませんでした。確信に変わりつつあります。
正しいのか正しくないのか見当もつきません。誰か教えてください。




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