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友人について
この年になって、友人が必要なくなるかというとそうでもなくて、心を割って話せる友人が身近にいればいいなと思う。
カウンセリングへ行って、心の内を聞いてほしいともときどき思うけど、すごく親しい人がいれば、カウンセリングなんていらない気もする。
私にとって比較的心を許せる友人は、1人かせいぜい2人といったところだ。一人は遠方にいるし、その人たちとも定期的に会うわけではないから、私にとっては大切な友人だけど、相手にとって私はその他大勢の中の一人でしかないのかもしれない。
職場などで、「友達とどこかへ行ったの」的な会話の輪に入れないのは、なかなかにしんどいものがある。
でも、矛盾するようだけど、自分の限られた時間を使って、友達と何かをするのはとても億劫に思え、連絡をしないでいるうちにますます友人の数は減っていく。
友人というのは、一緒に過ごした時間や共有の体験とか、そういうことがベースになってできている。
学生時代は学校というものがあったために、特に努力をしなくても、共有の時間や体験ができた。大人になってからは、そういう機会をどちらかが、もしくは両方が作っていかないと友人とは離れていくばかりだ。そうやって大人になってからの友人の付き合いというのは、努力して作っていかなければ持続しないものだけど、くたくたに疲れ切って週末を寝て過ごすことが多い私にとって、どこかへ出かけていくのはかなりハードルが高い。
友人に会うことで疲れがリフレッシュする人もいる。でも私は気を使っては疲れる人間で、果たして彼女は私と会っていて楽しいんだろうかとか考え始めると、余計連絡が取りづらくなってしまう。そして連絡はのびのびになっていく。
友人はほしいけれど、それ以上に自分の一人の時間を大切にしたい。
結局、自分の時間を他人のために使いたくない勝手な人間なのだ。
「人間関係を構築していくことで、苦しくても人間は成長していていく」というようなことをいう人がいるそうだ。多分、それは正論なんだろうけど、日本の片隅に違う考えの人間もひっそりと置いておいてくれないかと思う。
旦那と仲良しだから、家族がいるから友人はいらないという人もいるが、そこまで達観はまだできない。
今は疲れ切っている。
一度関係が切れると修復は難しいから、ごくたまにでも、連絡をとって行こうかなと思う。
環境が変われば、この慢性的な疲れが取れればまた考え方も変わるかもしれない。
でも学生時代のような濃密な関係は、もう作れないだろうと思う。