母親と一緒に死んだ息子
今から数年前のことだ。
遠い親戚にあたる女性とその息子が亡くなった。一人息子と二人暮らしだった。母息子といっても、母親が八十過ぎ、息子も五十の後半位だったと思う。息子はいわゆる引きこもりで、買い物や食事の支度等、身の回りのことは母親が行っていたらしい。
日本の厚生労働省のニートの定義は、15~34歳の非労働力(仕事をしていない、また失業者として求職活動をしていない者)のうち、主に通学でも、主に家事でもない独身者」だ。35歳を過ぎるとニートの範疇にも入らなくなる。今の日本には親世代のゆとりがあるから、引きこもり問題があまり表面化してしていないように見えるが、引きこもり年齢が上がって、親世代が高齢化するほど、深刻さも増大するだろう。でも35歳以上のひきこもりは、置き去りにされている。
一緒に亡くなっていることがわかったとき、親戚の中には何か事件性があるのではないかと疑う者もいた。つまり息子が母親を殺したのではないかという憶測だ。しかし母親は布団で息を引き取っており、自然死だった。その2日後位に息子は首を吊っての自死だった。 社交家の父親が生きて商売をしていた頃、この家は一族の中でも資産家だった。けれど、父親が亡くなり母親だけが商売を切り盛りするようになると、 徐々に生活は苦しくなってくる。息子が人付き合いが悪いことは知っていたが、いつ頃から買い物もできない程に引きこもるようになっていたかは私の耳には入ってこなかった。
これは私の想像でしかないが、母親が亡くなり、息子は途方に暮れたと思う。買い物にも行けない人間が葬式を取り仕切りのは、かなり無理があることだと 考えられるからだ。 経済状況もその時点でかなり悪い状況だったらしい。葬式代にも事欠く有様だったのかもしれない。でも家や敷地は息子のものだったろうし、お金を貸してくれるところもあっただろう。その方法を彼は知らなかったのではないだろうか。でも、誰かサポートしてくれる人がいれば事態は違っていたかもしれない。
兄弟・姉妹のいる人は幸いなり。 口うるさい兄弟・姉妹を煙たく思っている人も多いと思う。生きにくく人と関わることが苦手な人なら尚更、その存在はうとましかもしれない。 けれど、何かあったときに一番近くにいて、哀しみを分かち合い、内情にも精通していて、実際に動いてくれるのは、兄弟・姉妹なのだ。
私も一人っ子。先のことを考えると憂鬱になる。片親が残っているときは、まだ何とかなりそうだが、一人残された親を見送るのは厳しい。 一人娘としての責任もある。責任はあるが、何も築いてこなかった自分には荷が重すぎるだろう。 親戚の葬式に出るだけで疲労困憊してしまうのだ。 多分、哀しみより葬式に関わる行事を全うに終わらせなけばという気持ちが先に立って、本当の哀しみを感じるのは全てが終わった後ではないだろうか。
彼もプライドを捨て、親戚を頼ればどうにでもなったと思う。お通夜とお葬式とそれに関連する一連の行事が終わるまで、自分の心に蓋をして やりすごせばよかったのにと思う。そうすれば、彼はもっと生きられたばずだ。火葬のみという選択だってできたはずだ。けれど、彼はそうしなかった。 昔は裕福だったというプライドもあっただろうし、人を頼る術をもう持っていなかったのかもしれない。そして彼の住んでいるところは隣組が 残る、葬儀のときには各家庭から手伝いを出すような田舎だったので、彼の苦悩はより深かったのだろうと思う。 田舎には都会よりも濃密な人間関係があり、そこからはみ出す人間を許さない。
今まで書いたことは全て私の憶測でしかない。彼が自死を選んだ理由は、もっと別のところ、例えば母のいない広い屋敷で暮らす寂しさだったかもしれない。 母親を失うことで生きる意味を失ってしまったのかもしれない。単に母親の年金がなくなると経済的に立ち行かなくなるといったことだったかもしれない。 ただ親が亡くなって、自殺を選ばなくてはならない人は、生きづらい人だと思う。 彼の血が確実に私にも流れていることを考えるとき、彼の話は遠い世界ではないと思う。