「こういう人達に比べたら、自分はまだ幸せ」という人
<2018.2.1>
(「みんなの生きづらさ」/投稿者:トンファー さん)
(※トンファー さんは以前に「みんなの生きづらさ」に投稿して下さっています。そちらの投稿はこちら「優しすぎて生きづらい」、「この役目から解放されるときがくるのか」、「自分に偉人賞をプレゼントしました」、「自分は搾取の対象として生み出されたのか」)、「カウンセリングとやらで嫌な思いをした人は多そうだから」、「「win & win」の取引き、という言葉があるけれど」、「”自殺することが最高の親孝行”だと思ってた」、「兄の僕に対する嫌がらせは、兄が学校で同級生からやられていたことだった」)
「こういう人達に比べたら、自分はまだ幸せ」という人がいる。
ここで比較の対象として、引っ張り出されてくる「こういう人達」とは難病、飢餓、貧困、自殺、事故、紛争にまきこまれたり、うまく援助をうけられない人達のことだ。
「・・・にくらべたら幸せなんだから感謝しなくちゃ」という言い方がすごく嫌だ。一見、謙虚に聞こえるが、自分がそんなささやかな幸福を感じるために、「そういう人達」を必要とし続けている気がする。
社会全体が知らず知らず(?)、人々をそういう状況に追いこんでいると思う。「人の不幸は蜜の味」は人間の本能として認めるし、社会には勝者も敗者もいると思う。
だけど敗者に何を求めるか?というのが問題。幸・不幸の基準が「生きてるか、死んでるか」ぐらいにしかないものだから、とにかく自分の生存のみに執着し、その結果、上に挙げたような「こういう人達」を生み出していく。
自分は、他人が不幸になって死のうがどうしようが関係なく幸福を感じられる”もの”を少しでも持っていないとダメだと言いたい。
そういう”もの”を持った人間が少しずつ「こういう人達」を減らしていくのだと思う。