一縷の希望に依存しながら、私は図太く生きていくのだろう
<2018.9.16>
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: それでも生きる さん)
負けず嫌いの母親に育てられ、物心ついた時から、塾に習い事に勉強。
子ども期は「あの子には負けて欲しくない」「1位になって欲しい」「○○学校に入って欲しい」と日常的に言われていた。
共働きだったため、祖母の家に預けられ、放課後や休日に友達と遊ぶこともほぼ許されず。友人関係と親の言いなりの板挟み。我慢我慢だった。目標が高すぎて、学生時代は、勉強面で上手くいったこともあれば、敗北・挫折の方が多かった。
父親は、母親の価値観と合わず、ほぼ家庭内別居から完全に別居となった。
大学生時代は、嫌な自分を変えたいとボランティアに励むも、自分を犠牲にした延長線上だった。
他人からの評価を気にし、自分にも他人にも厳しくし、外見だけ自信を持ったフリをし、頑張り続けようとする。挽回しようともがくも、自己肯定感・自己受容・愛着心の土台の無い脆い自分は、崩れるのもあっという間だった。
恋愛も、あっけなく依存で終わっていく。
それでも頑張っていれば報われるとどこかで思っていた。
そして私は、自意識とプライドだけやけに肥大な社会人になった。
新卒で入った会社は、様々なストレスで辞めた。
他の人のように要領良くできない、私は口だけで何も残せない、その場の空気が読めない、飲み会後疲れ果ててしまう、いじりに対しその場では笑うも傷ついてしまう、一人暮らしも上手くいかない、など…
こうして私は何も出来ない大人になった。
誰とも適切な繋がりができないくせに、1人で生きていく能力も無い。学生時代の頑張りは、どこに行ったのか。
苦しんだ割に、今の不器用な私には何も無い。
未熟な自分が悪いんだ。今更誰のせいにも出来ない。
傷ついてはいるが、私だって今迄多くの人を傷つけてきた。環境に恵まれていないわけではないのに。
私には、これから幸せに生きていい価値も無いのでないかと思うこともある。
過去の失敗や後悔を頭によぎらないように意識しても、次から次へと浮かんではスパイラルに陥ってしまう。前向きに生きようと誓っても、すぐ後戻りしてしまう。
ただただ、生きづらくて仕方がない。
それでも、一縷の希望に依存しながら、私は図太く生きていくのだろう。
私は生きていくのだろう。