営業職となってしまった今、自分を変えることを強いられています
<2017.5.2>
(「みんなの生きづらさ」/投稿者: prkl さん)
端的に言って、私にはコミュ力がありません。
3人以上で話す会話にはほとんど相槌を打つのが精一杯で、私に話が振られても本当に面白くない返答しか出来ないです。
それでも皆のことは大好きです。人の話を聞くのが大好きです。今まではそれでよかったんです。
現在私は新卒一年目で研修を受けている途中です。田舎から上京し、ある程度大きい会社に入社しました。
それも営業職として。
なぜこのように身の程知らずなことをしてしまったのかというと、自分で言うのも恥ずかしいのですが地元では割とうまくやれている方(だと思っていた)んです。学科の中ではリーダー的存在で、人のために何かをする、尽くすのが本当に好きだったんです。
営業職というのは人の話を聞くのが本当の仕事、という文言を鵜呑みにして入社したところ、同期はほぼ全員自己主張の塊のような人ばかりで、ノリも大学生のようにウェイウェイしていて私は今のところ全く馴染めていません。
それどころか、同期にもかかわらずいじめられないかビクビクしてしまっている状態です。
皆のことが好き、人の話を聞くのが好き、といっても、人と一緒にいることは好きではないです。
人といても気を使わせてしまって、相手につまらない思いをさせてしまうのではないかと想像するだけで頭が痛くなります。
だからこうして(失礼ですが)自分と似たような境遇の方のお話を1人で見て、共感している時間が何よりも好きです。ありがとうございます。
大抵の人のことは好きな私ですが、言い換えると好みが無いのです。
来るものはなんでも受け入れてしまい、自分の意見がないこともさらに私のつまらなさを助長しているように思います。
さらに私は冗談が言えない、通じない人間で、心の距離を縮めるのも苦手です。
例えば私が足を踏まれたとして、明るい人なら折れた~!慰謝料くれ!などといっておちゃらけることができますが、私はもう反射的に大丈夫大丈夫!それよりあなたの方は大丈夫?と、馬鹿真面目に相手の心配をしてしまい、相手もああ、大丈夫…と距離を置いてしまいます。
また、最近著しく頭の回転が遅くなったと感じており、人の会話についていくことすらできていない状態です。
15年来の友人とすら、まともに会話できず縁を切られてしまいそうでとうとう何のために生きているのか分からない心境です。
ここまで読んでお分かりのとおり、私は典型的な自己否定型人間です。生きづらい人間は大体共通した悩みがある、と仰っていたとおり、私の性格の特徴も全て生きづらい人間に当てはまっています。しかしこんな自分を変えたいとは思えないのです。
私は相手に気を使うのが好きです。
初対面同士の人々の場合、お互い気を使い合う期間というのが一定期間あると思うのですが、私はその期間が大好きなんです。
しかし大抵の人はすぐそのような期間を怠い、疲れるといって自分の素を出したがるため、私といることを嫌います。
表面的な、事務的な会話のどこがつまらないのでしょうか。私には全然分からないんです。
ずっと愛想笑いをし続ける関係を続けてくれる人と一緒に居れるだけで幸せです。むしろ会話なんて必要ないです。
例えば店員さんの何気ない優しい挨拶や気遣いが大好きで、それだけで生きていけるような気持ちになります。
友達でも誰に対しても店員とお客さんのような気を使い合う関係でいたいと私は思いますし、そのように誰かの気遣いにいちいち感謝できる自分も好きで変えたくありません。
しかし営業職となってしまった今、このような自分を変えることを強いられています。
なんでも受け入れ、自分の主張もなく面白みのない優しいだけの人間など必要ない、と上司からも同期からも責められているような気がしてなりません。
私の認識不足でこのようなことになってしまったためもうどうしようもないのですが、話せる友人もおらず潰れそうだったためここに書かせていただきました。
長々と要点もまとまりもない文章で申し訳ないです。ブログを読ませていただいていることへの感謝だけでもお伝えできたらと思います。