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萩尾望都の描く、集団のなかのノケモノ『くろいひつじ』
萩尾望都の漫画『山へ行く』の中に『くろいひつじ』という短編がある。
あらすじを書くので、未読の方はご注意を。
母、絹の死後に絹が愛用していたピアノを長兄が燃やした事を愚痴る妹のシーンから始まる。親戚一同が集まった一周忌の席、子供らは無邪気に走り騒ぎ、大人たちは楽しかった絹との音楽の思い出を語り合う。「ピアノあればよかったのに」しみじみ語る妹。皆が歌を歌いだす中、ピアノを燃やした音感のない長男はその輪の中に入れない。
歌の輪から避けるように、ふらりと散歩に出た長男はナタを持ち出し、溜め込んでいたいた怒りを爆発させ、一族に切りかかっていく。
「歌えなくて悪かったな!!」と。
歌がキライな甥っ子の存在で、長男は殺戮を想像するだけにとどめるのだが、読んでいて息苦しくなるような作品である。
萩尾望都は、「くろいひつじ」を、集団のなかのノケモノの意味で使っている。
調べると、black sheep は一家・団体の厄介者」。「羊の群れの中に黒い羊が混じっていたら、とても目立つ。つまり…変わっているという事」で、一族やグループの中に時折いる変わり者、厄介者の事を指していう表現らしい。
こんなことくらいで人を殺そうと思うなんて…これが一般的な考えだと思う。こんなことと思えるのは、黒い羊ではなく白い羊、集団側に属する人の考えだからだ。
根底にあるのは、価値観の違う人間を認めない、そもそも違う価値観があることにすら頓着しない集団の恐ろしさ、無神経さだ。もちろん暴力を肯定しているわけではないけれど、そう考えさせるほどの苦しさがそこにはある。マイノリティとしてしか生きられない人間の悲哀は理解されにくい。
私も「くろいひつじ」だ。
だから、個の思考が無視される集団や嫌いなのだと思う。
16ページという短編の中に、これだけの重いテーマを描き切る萩尾望都は、やはり鬼才だと思う。
最後は、少し明るさを感じさせる終わり方になっていて、救いがあるのもいい。