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恋愛弱者の自分

そもそもその人がほしいのは「自分ではない他者からの承認」なのだ

<2016.8.13>

(「みんなの生きづらさ」/投稿者: コルグ さん)

(※コルグさんは以前に「みんなの生きづらさ」に投稿して下さっています。そちらの投稿はこちら「生きづらさとは「ある特定の人たち」だけのものではない」、「「普通」という言葉は、時にとてつもない暴力として襲い掛かってくる」)

中年というわけではないが、いわゆる「それなりの歳」なので、世間的には「恋人がいて当たり前」という風に捉えられるだろう。

しかし、自分にはいない。
周りの友人に恋人ができると、その友人を避けるようになる。結果的に、ますます閉じこもってしまうという悪循環。

他人の幸せを見るのが辛い。
自分がいかに人間として欠陥品かを見せつけられて辛い。他人から「恋人がいないかわいそうな人」と蔑まれるのが辛い。

多分、大方の人がいうことは
「自分に自信を持て」「卑屈になるとますます恋愛から遠ざかる」ということなのだろう。
自分としては、「お前には一生恋人などできないが、俺たちの見世物になるために堂々と生きていてくれ」という気分になる。




そもそもその人がほしいのは「自分ではない他者からの承認」なのだ

<2016.7.6>

(「みんなの生きづらさ」/投稿者: コルグ さん)

女々しくなるが、時折「誰かに愛されたい、依存したい」という想いが強くなる。自分が独りでいるのが怖くなる。

こんな話をすると、返される言葉は大体決まっている。
「誰かに愛されるだけが人生じゃない」
「自分で自分を愛することが大切」など。
それらは確かに正しいのだと思う。しかし、完璧な回答ではない。

承認欲求と一言で言っても、自分で自分を認める承認欲求と、誰かから認められる・愛される承認欲求は全く別のものである。
そのため、いくら自分を認めようとしても虚しさを覚える。
そもそもその人がほしいのは「自分ではない他者からの承認」なのだ。

欲しくても欲しくても、それでも「別のもので我慢しろ」と言われ続ける。

バカな子供みたいに妬んでしまう。
あの人は愛されることが約束されている人だ、認められている人だと。
自分でも馬鹿げた考えであることはわかっている、それでも止められない。




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